甲子園口にある鍼灸院
“肩こり改善”の治療が得意なよしゆき鍼灸院の松本です!
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僕たちは毎日、何気なく「歩く」ことをしています。でも、このシンプルな行為の中には、驚くほど多くの意味が詰まっています。
移動手段としての「歩行」はもちろん、自分の意思で進む、自分の行きたいところへ行ける――それは、自主性の象徴でもあります。さらに「歩くこと」は、社会との関わりや人生観とも深く結びついているのです。
現代では車や電車、ネットによるバーチャル移動もありますが、「自分の足で移動する」ことには特別な意味があります。
歩くことで見える景色、出会う人、感じる風や匂い――これらはすべて、身体を動かしてこそ得られるもの。
身体を使って移動することは、「世界と直接つながる」行為。歩くことで、私たちは五感を取り戻し、自分の人生の「現場」に立ち会うことができるのです。
歩くことには「自分で決める」という感覚が伴います。
「今日はあの道を歩いてみよう」
「この坂を登るのは大変だけど、登った先に何があるか見てみたい」
自分の意思でルートを選び、足を前に出す――これはまさに人生の縮図とも言えます。
誰かに運ばれていくのではなく、自分の意志で進んでいく。それは、自主性・自己決定感の育成にもつながります。
歩いていると、意外なところで人とつながります。
道端で挨拶を交わしたり、すれ違うときにちょっと道を譲ったり。
「他者の存在を感じながら移動する」という点で、歩行は非常に社会的な行為です。
赤ちゃんが最初に歩き始めるとき、それはただの身体的発達ではなく、「社会との接点が広がる一歩」でもあります。
歩けるようになることで、より広い世界とつながれるのです。
哲学者たちも、よく歩きました。
カントは毎日決まった時間に同じルートを散歩し、近所の人たちは時計代わりにしていたと言います。ニーチェは「すべての偉大な思想は歩く中で生まれた」と語っています。
歩くことは「考える時間」でもあるのです。身体がリズムよく動いているとき、頭は不思議と自由になっていく。
歩くことは、考えること、感じること、そして「今ここに生きている自分」と向き合う時間でもあります。
歩く力を失うことは、単に「移動できなくなる」ということではありません。
それは、自分で選び、自分で動き、自分で考えるという力そのものが弱くなるということなのです。
人は「移動できる範囲」でしか行動できません。
移動できる範囲が限られると、出会える人、感じられる自然、体験できる出来事も限られてきます。
つまり行動の幅が狭まると、思考の幅も同時に狭まっていくのです。
例えば、歩ける人は「この道を通ってみよう」「遠回りだけどあの景色を見たい」など、常に選択肢の中から自分で行動を決めることができます。
それが自主性を育み、「自分で生きている」という感覚につながります。
でも、歩けない、もしくは歩くことに不安がある人は、「誰かに頼らなければ動けない」「行きたい場所があってもあきらめる」といった状態になりやすい。
このような状況が続くと、次第に**「どうせ無理だ」「決めても意味がない」**という気持ちになり、考える意欲や行動の主体性も落ちていきます。
だからこそ、私は「歩ける身体を保つこと」が、
身体だけでなく心や思考の自由、自主性の維持にもつながっていると強く感じています。
「歩く」というシンプルな行為は、私たちの生き方そのものに直結しています。
歩くことは、考えること。感じること。選ぶこと。そして、進むこと。
もしも、今、あなたが自分の足で歩けるのなら――それは身体的な自由と、心の自由を同時に持っている状態です。
そしてそれは、年齢を重ねても、サポートがあっても、できる限り守っていきたい尊い力です。
私は施術や運動指導を通して、その「歩く力=生きる力」を支えていきたい。
ただの健康維持ではなく、自分で人生を選び、動いていける人を増やしたいと思っています。
今日、少しだけでも、自分の足で外に出てみませんか?
自分の行きたい方向に一歩踏み出すだけで、世界が少し違って見えてくるかもしれません。
ちなみに、前回投稿した歩き方の話「ウォーキングだけで健康になると満足していませんか?」もご参考にして下さいね♪
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